ちょっとずつでも。

ハプチョンという韓国の地方都市は、「韓国の広島」と呼ばれています。
なぜなら、広島に渡った多くの朝鮮人被爆者はハプチョンに帰っていったからです。


というか、今さら、書くことの虚しさに襲われ……。


で、まあ、マレビトの会では、タイトルを『HIROSHIMA−HAPCHEON』としていたのは、被害者意識に回収されないように、加害者としての視点を意識的に取り入れるという狙いがあったのだと思われます。


というか、今さら、書くことの虚しさに……。
鉄は熱いうちにたたけっすよ。
でも、前に書いたやつをコピペ。


『HIROSHIMA−HAPCHEON 二つの都市をめぐる展覧会』は、展示会形式という形態で自由学園明日館の講堂にて上演された。
観客には来場前に上演の手引きとして、複数ある小さなモニターの配置図とそのモニターの前で行われるパフォーマンス(報告/演技)のタイムスケジュールが手渡される。出演者はそれぞれ指定されたモニターの前に配置され、そこでタイムスケジュールに則ってパフォーマンスを行う。モニターは、基本的には個々の出演者の取材時の映像、テキストを流し、また、キャプション一覧と題された紙は、出演者の取材内容に関する説明が書かれてあり、出演者を展示物として見る工夫がされている。
観客はそれらを参照しながら、特定の誰かを選んだり、全体を見回したり、時には同時多発的に行われるパフォーマンスを見て回るのである。入退場は観客の自由になっている。
テキストは松田氏の書いたものではなく、出演者自身が書いたようだった。

多様化されている空間。