誕生日は海老蔵さんと一緒でした。

マレビトの会を観て、これは何か思考せねばとホームページを探り、そこにあった松田正隆氏が挙げた参考文献の中の、米山リサ著「広島記憶のポリティクス」と奥田博子著「原爆の記憶 ヒロシマナガサキの思想」は目から鱗が落ちました。感銘を受けたのであります。
それとマレビトの会の公演についてちょちょちょと書きたいのだけれど、本当に頭悪いのでまとまらない。ので、ちょっとずつ小出していきます。


タイトルをつけるならば、「中心化への忌避」です。
中心化というのは、強く吸引力のある言説に、個人の思いなどあれこれが、回収、からめとられていくことです。僕にはそれが"中心化"という言葉でしっくりきたのでそうします。


「唯一の被爆国」「唯一の被爆国民」という日本政府による大文字の見出し言説によって、私達はさきの戦争による被害者意識を高められ、植民地政策による加害者としての歴史は忘却されている。実際、「唯一の被爆国民」というのは誤っている。植民地政策の影響で農作が疲弊し貧困に陥った朝鮮人は生活の糧を求めて広島に移り住んだ。また、戦争末期には軍需物生産のために広島(広島はかつて軍都だった)へ強制連行された。そして、彼らは被爆したのだ。


ここで書くのをやめると、なんかちょっと過剰に受け取られる。やばい、でも、もう眠くってさ。さっき、です、ます調で書いたら、なんかすごい左な感じになってしまった。


続きはまた。
年内にはなんとか、ふっ、自分のためさ。