体たらくはいつまで?

Kさんの舞台を観にいざ横浜へ。横浜は遠いと実感実感。舞台の感想は、抽象的な、イメージのような、そんな感じな内容のメールをKさんに送りました。良かったですよ〜。
週末は鬼子母神にも行ったのでした。唐組の公演です。『盲導犬』。この作品は唐さんにとっては初期戯曲にあたるもので、詳しくは簡単に調べられるので記さないでおいて、ここ数年で観た唐組の中で突出する素晴らしさだった。戯曲にスピード感があって、卒論で唐さんについて調べたことのいくつかを思い出した。最後のシーンで、不在の犬、ファキイルがヒロインの喉を切り裂くといった戯曲に書かれてある先鋭さは変更されていましたが、何より出演者の皆さんが凄かった。若い方も熱演されて良かったのですが、10年くらい、もしくはそれ以上所属されている俳優さんはみんな凄かった。長くやっている人はやはり作品の核を表現してると、それは僕が関わった舞台でも感じることですが。特に主演の方は、神がかったっていうと言い過ぎかもしれませんがしびれました。ビリビリでした。
先日の自主公演では、小説の地の文を聞いているように思ったと何人かの方に言われましたが、それは長台詞のせいかと思っていましたが、『盲導犬』の台詞を聞いていて、「ああ、これが劇の言葉だ〜」と思ったのでした。「いつかトハが射った弾が、私の頭を射ちぬいて私の国に向かっている。そして、おまえの射っただろうあの幻の弾もそれにお返しするように南に向っている。それが同じ航路をたどるものだから、弾ははじけて、そこに燃えるのが犬の毛さ」(『唐十郎作品集第三巻』「盲導犬」冬樹社) 熱でもって書いているように思えるのです。「そこに燃えるのが犬の毛さ」ってこのイメージの飛ばし方はひや〜とします。憧れますね。観てない人には意味がプーですね。長々と失礼しました〜。。