ドイツにいるのはドイツだ−Who lives in German?−

今週はなんと3本も舞台を観ちまった。火曜日にフラメンコ、木曜日にピナ・バウシュ、土曜日はシャウビューネ劇場の『ノラ』。
フラメンコを観たのは初めてでしたが、割愛。
ピナっちは今まで自分が観てきた中で最も感動したっす。前半は寝ちまったけれど(実はダンスを観ると大半に睡眠タイムがおとずれる)、そのおかげか、後半はスッキリ爽快で響いてきた。ピナは"緩やか"だと思う。"緩やか"に踊り出す。それが素晴らしい。振付も面白い。身体が疼く。でも、チケット高すぎるんじゃないのか。全席今の半額ぐらいが丁度良いんじゃないかと。
でもって、本日はドイツ年だけにドイツから招聘されたシャウビューネ劇場の『ノラ』。イプセンが120年前に書いた『人形の家』を現代ドイツに置き換えての上演。演出は"映像的"で、舞台を回転させ違った角度から見せたり、映像だったらここでクローズアップだろうなと思い起こさせるシーンもあり、音楽の使い方も同化しやすい感じで、観ている側を飽きさせない。凡庸に言えば、知的エンターテイメント。詳しく知りたい方は今日のポストトークに出演されていた新野守広さんの『演劇都市ベルリン』を参照ください。
ポストトークで指摘されていた方もいらしたけれど、ノラが夫に向かって「あたいはあんたの人形やない!」と夫に従属していた不満爆発みたいな最も劇的な場面があるんですけど、そこが唐突というか、「いきなりそんなにどうしたの、ノラ?」という感じになりました。原作を読んだ時には感じなかった唐突さでしたね。議論を提供するのが演劇の役割だと演出助手の方が仰っていたので、ポジティヴに捉えることにして、おそらくその唐突さも自覚的であるのだろうと。なので、いつになく観劇後に色々考えさせてもらいました。今も考えてます。「ノラ=正義ではない」ということに気がついたかな。他には"虚飾"と"効果"の違いとか。はい。今年に入ってハラダイナの中ではベスト1の舞台でした。
究極的な理想の舞台とは、全てを削ぎ落としたものなのか。何もない舞台、照明も音楽も衣裳も台本もなしに、俳優の身体のみで、観客と洗練された空間を作り、「いま」を共有すること。それにしても、キッチュを嫌がるのはなぜと、自分に問う。