密度を上げろ。

haradayu2004-12-18

劇作講座の土曜日は毎回常任ではない劇作家を呼んでの講義。でもって、今日は川村毅氏でありました。前半は現在川村さん自身が進行中の芝居について語り、後半では世界の前衛劇団の映像を見ましたよ。文章や噂などの印象とは違い、伏目がちに講義をする川村さんに僕は好感をもってしまった。いくつか戯曲を読んだことがあり、やはり聡明で、この人の作品は観るようにしなければなるまいと思った。注目している劇作家は40代が多い、川村毅、鈴江俊郎、永井愛、宮沢章夫などなど。講義の終わり、何か質問しようと思ったけど踏み切れず講義が終了してしまい、一度外に出てからまた戻って来て川村さんにちょっと気になっていることを聞こうとしたがすでに姿はなく後悔した、している。この辺がね、僕のダメな所でね、ならばメールを、と思いHPを開いてみてもアドレスは載せていなく、うーん、来年こそは何とか一言だけでも言葉を交わせるようにしなければ……僕は圧倒的に対話が下手くそなので出会いが薄れる……。
その後、tptの『三人姉妹』を観にベニサンピットへ。なぜこの公演を観に行ったかというと、先週永井愛さんの講義があり、永井さんは今チェーホフに興味があるらしく、チェーホフ話をずっとしていて、その中でチェーホフは「ストーリーを描くのではなく、人物(人間)を描いた」と仰っていたのが気になっていて、良い具合に『三人姉妹』の公演をみつけ、しかもいつか観なきゃと思っていたtptの公演であったから足を運んだのでした。演出はロバート・アラン・アッカーマン(NYのブロードウェイで演出をしていたらしい)で、俳優人は超有名な人はいなかったけれど、演技の水準はかなりのもので、かれらの演技力を根底に人物の心理を中心に創られていた舞台でありました。休憩含みの3時間半、ベニサンピットという劇場の雰囲気も手伝ってか空気濃度は濃い中で物語は進行し、極めて誠実な作品に仕上がっていました。
しかし、生意気にも僕は、しかし、と思ってしまったのである。演技の水準は高いのだれど、それはいわゆる新劇的なものの印象を越えておらず、違和感が拭い切れなかった。例えば、ほら翻訳モノだからさ、スキンシップがたくさんあるんだけどさ、僕はその翻訳劇におけるスキンシップに常に疑問で、無自覚に日本人が演じるべきではないと思っているのです。演出も外国の人だしその辺どうなのか一体、無自覚だったように思えてならないのです。じゃ君ならどうやるの? と聞かれたらもち閉口しますけど、日本人が演じるという視点は常にもっていたいなと、はい。
それで青年団リンク・地点がつい最近やっていたらしい『三人姉妹』を観ておくべきだったと思い、でも、来年1月に別の翻訳モノをやるのでそれを観に行こうと思います。
ところで、「ストーリーを描くのではなく、人物(人間)を描いた」ことについて少し書くと、きっと前者よりも後者の方が大切なことで、作品の中の「事件もしくは劇的なこと」が、ストーリーのためにあるのか、人物のためにあるのかを考えていかなければならない。とりあえずは優れた人物創造が優れたストーリーを創造することを信じてみよう。
この1ヶ月の多忙のせいか、舞台欲求は高まるばかり。そんな再発見に自分の可能性を期待して。