太りませんように。

イケニエの人

昨日はAPEメンバーであり、同じく九州男児のMと大人計画イケニエの人』を観た。大学入学当初はかなり仲が良かったであろう、今や名前もかなり売れ始めているKに久々にメールしてチケットを取り置きしてもらいました。ありがとー。
大人計画はほぼ劇団員フルメンバーらしく、しかも、松尾スズキにとっては3年振りくらいの新作の公演だったらしいです。
作品の内容はかなりの荒唐無稽で僕のレベルで分かり易く書くには膨大な時間を要するので省略させていただきます、はい。それでは思ったこと、考えたことを軽く、はい。
テレビを見ている人向けのネタ、テレビのネタをパロッタがギャグが多く、これは意識的(この言葉、今自分の中で流行っているようです、意識的)なのだと感じています。もうかなり今、自分が気になっていることに引き寄せて作品の感想を述べますが、テーマみたいなものは「笑い」であると思います。支離滅裂は覚悟して先を続けますが、言い訳多いですけど、←と書くのも言い訳ですけど、←と書くのも言い訳ですけど…日本人が演技化されてきたのはおそらく六〇年代くらいからで、それは七〇年代の演劇界をリードしたつかこうへいの登場人物に象徴されるようになります。さらにつかこうへいは「演技化」だけでなく「笑い」をも取り込んでいきます。ここでの「笑い」は深刻だった(気楽ではなかった)六〇年代に対してのアンチとして生まれてきたものだと考えていいでしょう。その「演技化」と「笑い」の志向は現在においても続いており、発展しているように思えるのです。テレビでは楽屋ネタ的な身内ギャグが横行し、視聴者はいつしか自分も作り手の一部になったかのような錯覚をし番組を楽しみます。つまり、かなり飛躍しますけど、「演技化」と「笑い」が融合し、僕らは「芸人化」してきているように思えるのです。エセ芸人化。
イケニエの人』で従業員が研修を受け、津軽弁が最後には大阪弁になるとかいう台詞がありましたが、それは「芸人化」を表しているのじゃないかと。「芸人」とは関西の芸人をイメージさせる言葉で、僕なんかもそうですが、使えもしないエセ関西弁を話してしまうことが多々あるのです。それはもうテレビの影響で。
以上のようなことを考えました。でもね、つかこうへいの本は一冊しか読んでいないのです、なので、多々誤りあると思うので誰かご教授して下さい。

市役所に行ったら、矢田ハル(突然出現し僕を困らせる輩)がいたので、見つからないようにそっと引き返そうとしたら、案の定、背後から大声で名前を呼ばれ、仕方なく振り向くと、矢田ハルは近くにいたお爺さんにつかまり、声が大きいと怒られていたのでそのスキに逃げた。