実存してますか〜。

haradayu2004-11-11

シアタートラムで作・永井愛 演出・アントワーヌ・コーベ 主演井川遥の『見よ、飛行機の高く飛べるを』を観劇したのです。
物語はといいますと、時代は明治の末、場所は女子師範学校の寄宿舎。国の教育方針は男性のために女性が良妻賢母になることで、そのためか女生徒は男子との単独面会、自然主義文学の読書などが禁止されている。そうした時代状況の中で、井川遥演じるオールマイティな才女・光島延ぶが女性の権利を主張する最もラディカルな女生徒・杉坂初江と共に、他の生徒達を引き込み「bird women」というフェミニズム同人誌(?)を出版しようと意気込む。しかし……(中略)……ある女生徒がカンザシ職人からカンザシを貰ったのを誰かが学校に密告し、退学になってしまう。その処分に怒り心頭した女生徒達は授業のストライキを実行しようとする。しかし、当初は応援すらしていた安達先生(♀)が彼女らを激しく説得し、結局、光島と杉坂しか残らない。杉坂は光島も本当はストライキを続けたくないのだろう、何でも一番だったあの頃に戻りたいのだろうと批難するが、光島は杉坂をなだめ、自分も続ける、「bird women」を出版する、杉坂と一緒にここにいると手を握る。しかし、光島が密かに恋焦がれていた新庄先生(♂)が杉坂が少し離れた間にやって来て、光島へ結婚の申し込み(結果的に分かったことやで)をすると、光島の決意は揺れ始める。そして……。
とまあ、こんな感じのお芝居でござんした。面白かったですよ。感動しましたよ。
印象的だったのはやはり演出で、空間と台詞についてとても考えさせられました。抽象的な舞台美術の中、完全にカラダを客席に向けて会話することが当たり前のようになされていたわけなのだけれども、それはいわば新劇的な暗黙の了解的に身体を開くというものではなく、またNODA・MAPのようなものでもなく、あからさまに意識的にされていたのでありました。それだけでなく台詞の質(棒読み、大声、奇妙、テンポの速遅などなど)もすぐに気づくほど明瞭に使い分けられていたのでした。
それがリアルかといえばリアルではないのです。しかし、そこで現前されていたドラマは真実なのです。僕はそう感じました。劇作家・演出家の太田省吾さんは『舞台の水』という著書の中で〈真実〉という言葉を〈真〉と〈実〉に分け、最近の演劇は〈真〉を表現することに向かっていたが、自分は〈実〉の演劇を目指すんだと確か書いておられました。僕なりの解釈でいえば、〈真〉はリアルであり〈実〉はプレゼンスなのだと思います。プレゼンス、つまりは存在です。で、今日観た舞台で感じた真実とは〈実〉なのだと思います(やったぜ、脱リアル!)。演出家はフランス人なだけにおそらく存在とかそういうの大好きです。哲学者の多くはフランス人じゃないですか。あとね、1年位前に参加したパフォーマンスの演出がナディアというフランス人だったんですけど、それで僕はそのナディアにメールを送ったんですよ。そうしたら、返信してきてくれて、最後に「for your very sensitive and beaufiful presence.」ってあったのですよ。ほら、プレゼンスですよ。存在だよ、存在。リアルもいいけどプレゼンス、存在ですよ。
まったくもう、確信犯的に観劇中に携帯電話の電源を切らない奴はアホですよ、アホ、もうアホ。バイブの音もうるさいんだよ。暗転中にメール確認するんじゃねえよ。気になるんだよ小市民は。そんな奴らにも言い訳があると思いますが、もう僕は頭ごなしにアホ、アホだと心の中で言い続けました、小市民ですから。
『家に帰るまでが遠足です』
色々な意味を含めて。今日全部読まれた方の幸せを祈って☆