秋よー。

「わたしのすがた」を観ました。詳細はフェステバル/トーキョーのHPに。
ひとりでいろいろ観てまわりました。ひとりで鑑賞していると、今、自分が何を気にしているのかが分かる。鏡じゃないですかまさに。で、僕は終始気になっていることを気にしながら、読み終えたばかりの町田康宿屋めぐり」を思い出していました。というのは、どちらの作品も主題といってもいいある言葉が共通していて、それが生きていく(る)ことの根本に関わるように感じるからです。で、すべて観終えた後、パンフレットに書かれてあったテキストを読んで、作中の体験を相対化させられて、頭に浮かんだのは、偽とかフリとか演技とか。でも、何かに見られている、なにか大きな存在を感じているのは実感のあることで、なんか良いことしたら良いこと還ってくるはずだと信じていたりする。その因果応報は誰に教えられたでもないのに。町田康の別著「告白」の主人公が最期に良いことをして死にたいともらしたのにも通じることだ。


綿谷りさ「勝手にふるえてろ」も読んだ。内面の言葉が的確過ぎて、発せられる言葉がすべて嘘のように思えた。でも、内面が真実で、外面が非真実でと隔てられるわけもなく、ああ、ああ、ああああ、となりました。