脱線と思いつきで書いちゃった。

シアタートラムで『異邦人』を観ました。演出はもう職人の領域。稽古の時間、その濃密さは半端ないと聞いたことあります。
観ながら叙事的と思いました。俯瞰的の方があってるかな。今回の主人公の動機のなさ、あ、その繋がりでいうと、そういえば前作の『点と線』の犯人の動機もわからなかった。叙事的だなと書きながらも舞台は主人公の動機を追っていたように思えるけれども、叙事的だと今でも思うのは、そのテーマが動機のなさだったからかもしれない。感情がなければ叙事的なんですかと問われると、何とも言えませんが、叙事的っていう言葉自体を考えなくてはいけないのかなと今思いました。叙事的との出会いはブレヒトで、異化効果、感情移入するのを同化とした時の反対の意味で使われていましたが、感情移入させないひとつの方法として、動機のなさというのは有効なんだなと書きながら分かりました。
言葉を、ある単語を追うことで見えてくるものがあるようです。
今は頻繁に多様性が謳われているけれども、それはそれであっていいという意見が尊重なのか無視なのか、気にしなくてがいけないのでは。尊重っていうのもどういうことなのか、実感のある言葉でねー。