削ぐ、脱ぐ、取る、除く……。

イメージ云々とは別次元で動きの精度を上げていくことで、見えてくるものがあるんだと、ベンキョーになりました。スタニスラフスキーの『俳優修行』を読んだことをなぜか思い出す。内面も外面も役を構築していく手段であります。ただ役ってものは構築していくものではないそうなのです。ピーター・ブルックがこう書いています。役に近づくには二つの位相、第一の位相=準備、第二の位相=誕生があり、その誕生のイメージは陶工のようにコツコツではなく月ロケットのイメージだと。

性格作りは積み上げとは正反対のものだ。俳優を役柄から隔てるいっさいのもの―筋肉の動きから観念や心理的抑制にいたるすべて―を一つずつ破壊しとり除いていく。と、ある瞬間、強烈な空気の奔流とともに、求める性格が俳優の毛穴という毛穴から侵入してくる。

さらに、

準備がなければ、出来事は弱々しく混乱して意味のないものになってしまうだろう。しかし準備するとはかたちを固定してしまうことではない。正確なかたちは白熱した瞬間の到来とともに、行為そのものが行われているときに、現われてくるのだ。(『殻を破る』より引用)

なんかある方向に傾いていたんだなと反省というか気づいた、気づくことができた。
さてさて。