家、遠い。

共演者のOカチャンに薦められて読んだ、鷲田清一著『じぶん・この不思議な存在』(講談社現代新書)で人生観がかなり変わった。
僕なんてものは誰かと常に関係しているということ、自分ひとりで存在するなんてことはあり得ない。どこでもいつでも、他者は僕の思っていることや行為に関係しているんだなと。それは逆の立場からもいえることです。つまり、こうして存在しているということはきっと誰かと関係できているからで、きっと誰かの存在に僕なんかでも多少は関わっているということです。それを勘違い(俺のおかげであいつは存在できてる的な勘違い)でなくするには、自分のイメージで他者を固定していくのではなくって、流動していく(変化していく)他者として接することが大切なんだと感じたのでありました。誤読してたらごめんなさい。以上、お分かりのように説明下手なので引用します。

じぶんが所有しているものとしてのじぶんの属性のうちにではなくて、だれかある他者にとっての他者のひとりでありえているという、そうしたありかたのなかに、ひとはかろうじてじぶんの存在を見いだすことができるだけだ。問題なのはつねに具体的な「だれか」としての他者、つまりわたしの他者であり、したがって<わたしはだれ?>という問いには一般的な解は存在しないということである。ひとはそれぞれ、じぶんの道で特定の他者に出会うしかない。

舞台に立った時もこれは常に意識するべきことだと思う。そういう風に立てるようになりたい。