♪パパパッパパパッラララララ

日曜日にしっかりローザス『ビッチェズ・ビリュー/タコマ・ナロウズ』を埼玉の彩の国芸術劇場にて観ダンス。音楽はジャズ界の帝王マイルス・デイビスのナンバーからで、実は最近といっても1週間ほど前から"ジャズ"なるものに漸く足を踏み入れたのでタイムリーでした。ジャズは全く分からないので(全体的に音楽は知らないけれど)ジャズ入門みたいな本を購入し、軽読。それには、マイルスとブルーノートというレーベルのものを聴いていれば良いと書かれていました。なので、僕は従順にマイルスのCDを買って1週間ずっと聴き続けました。その本曰く、ジャズは「慣れ」であるそうです。僕はまだ「慣れ」ていませんけど、何となく聴き始めた時とは違うような気がしているのです。ダンスも「慣れ」るまでに時間がかかったね。最近やっと「慣れ」てきたように思える。
それで、作品なんですけど、圧倒的に女性ダンサーが弱くって(特に日本人ダンサーは枠の中で縮こまっているどころじゃなく、表現する意志すら欠いているのではないか)、会社の、今度母校でアートマネージメントの授業の講師をする社員の方と共感しましたね。その後に、その人から初期ローザスのセクシュアルな表現について教えてもらい、ベンキョーになった。
去年の『レイン』と同じ作風という印象。目の前で踊っている、踊られている、今回はダンスパーティーを見ているような感じ。ライブでしたね。なのに、興奮しなかったな〜。なぜだろうか、振りとか同化しやすかったのに、ジャズに不慣れだからか?
カーテンコールはそれは盛大な拍手で長過ぎ。出演者が露骨にもういいよ的な空気を醸し出しているのに、それでも拍手をし続ける人々の心が謎。

ある本からひっかかった文章がありまして、それは映画についてなんだけど、単純に舞台に置き換えられるので記します。
「わたしにとって舞台とは何か」ではなく「舞台にとってわたしとは何か