そこにいるのは誰だ?

『質量,Slide,&』

立て続けにダンスを3本観てしまった。スターダンサーズバレエ団『コッペリア』、玉川大学芸術学部公演『Performing Body』、白井剛『質量,Slide,&』でございます。スターダンサーズバレエ団には触れないでおいて、玉川大学の『Performing Body』は女性だけの出演者で、主にコンテンポラリー(?)ダンスで構成された4つの作品を上演しておりました。僕は観ダンスする時、どうしても動きよりも表情を見てしまいがちで抒情的な(浸ってる)表情でダンスしている人がいると、過剰なほどひいてしまうのですけれども。(しかも席が近いとなおさら)でもって、Isaburoh振付の『Drift』は学生ダンサーにはありがちな“浸り”が抑えられていて凄いなと感じたわけなのですよ。「踊ってる人が楽しくないと観てる人は楽しくないよっ!」って良く聞いたりするんですけど、それってその通りだと思うんですけれど、じゃあ、「楽しいっ、躍動してるあたしは最高に楽しいっ、キラキラ☆」って踊られても大抵のダンサーの表情は自己陶酔で観てる方はひいてしまうことが多々あるんですよ。それを回避するにはどうしたらいいかと少し考えるわけですけれども、楽しさの中に「あたしは美しいキラキラ☆」みたいなものが侵入し混在しはじめ表情に感染していくと危険なように思えるのです。ただ、本当にその人が桁外れに美しい場合、よほどでない限りは許されるように感じています。また、その人のテクニックが並外れている場合や、顔があからさまに個性的であったりする人の場合も受け入れることができるのではないでしょうか。ま、どんな興奮状態でも自身を冷静に見る目が必要なのでしょう、これもベタではありますが。ちょっと話はそれますが、自己陶酔は圧倒的に女性に多く、逆に、男性は表情がなさ過ぎる(自分はとても楽しいと感じているのに)ことが多いように思えます。
そんな表情とか越えた所に、白井剛ロダンス公演『質量,Slide,&』はあるのでした。初見だったわけですけれども、圧倒的な存在感を感じまして、同世代の男性ダンサーさんの中では白井剛さんは突出していると思いました。作品は“質量”を軸に発想、構成されていました。部屋を想起させる舞台美術の中で、白井さんは偏執的に、“質”と“量”を確かめているんだかなんだかしてました。それがそのまま作品になったような印象を受けましたよ。“質量”というモチーフは様々な視点を提供していたようで、モノの形態と変化、形態と価値、時間と記憶、そして、身体、とかまだまだ僕には到底及びそうにもない次元の作業に思え、学歴コンプレックサーとしては凹みそうになりましたが、しかし、最近はそんなコンプレックスにも立ち向かう気力が出てきたのでありました。
舞台は「いま、ここ」を体験できる表現ジャンルであるからして、リアルよりも特にプレゼンスに興味がある僕は白井剛さんの舞台でプレゼンスを感じたのでありました(たぶん)。ダンスってそうかもね、身体だし、身体ってプレゼンスじゃないすかモロに。言葉もそうか、書かれた言葉ではなく、発語された言葉も。もちろん音楽も。
もっとよく考えて生きていきます。
身体を動かしたいです〜。来年になったら何かしらのダンスの教室に通おうと思っています。