マーチッマーチ!

下りの坂道をあちこち体を反転しながら駆け下りている、そんな印象を受けた小説でした、『終の住処』。物語の恣意さってことを考えました。というのは、何かの番組で著者が、次の行にどんなことを書くのか自分でも分からないままに書き進めている、と仰っていたのを覚えていたからだと思います。そういう恣意さを支えるのはその作者のセンスでしかないのかなー。潜在しているものがどれだけのものかで恣意的であることの面白さが決まるのでしょう。そーゆー潜在しているものを育むことは科学的に解明されていたりするのかな。いわば直感力。 
恣意的であることは共感を得難い。でもその恣意さが共感を得る場合の多くは、特殊性というより普遍性なんじゃないかなと思う夜です。
明日は本番だ〜。