見通せ。

起承転結か序破急か、それが問題。大した問題ではないのですが。
構成といえば『歌行燈』です。構成は泉鏡花から学べばいいのです。
婦系図』っていう小説があるんですが、文学士・主悦といい仲である芸者あがりのお蔦は作中、会話が一度もないのです。彼らは師匠に別れるように言われ、泣く泣く別離します。そのお蔦は病気で死んでしまうのですが、死ぬ間際、主悦はそばにはいません。お蔦を看取るのは別れをすすめた師匠なのです。師匠は自分を責めます、そして、自らを主悦だと思えと臨終するお蔦に言うのです。お蔦は師匠を主悦だと信じ、最後にこう言います。「先、先生が逢っても可いって、嬉しいねえ!」
読み返して涙が、ああ、涙が。
『神話と日本人の心』(河合隼雄著、岩波書店)を読む。
アマテラス、ツクヨミスサノオは「3貴子」と呼ばれる神々です。
彼らはイザナミから生まれ、アマテラス、スサノオは周知のとおり活躍(?)するのですが、ツクヨミは"無為"に等しく何もしないのです。身分的にはアマテラス、スサノオと同等です。でも、何もしないのです(活躍する記述がない)。"無為"の神を中心に存在させる、日本の神話の構造はとてもおもしろく思うのです。それにもきちんとした理由を著者が興味深く分析しておられます。僕はそれを説明する気力はありませんので、興味ある方は読んでみてください。

ひとり身が寂しい夏ですが、でも冬じゃなくて良かったなと思うのであります。
汗&汗、そして、汗。