斉藤和義で走る。

小説-川上弘美『真鶴』、映画-ダルデンヌ兄弟『ある子供』をみる。
人物が変化していくその描き方に強く興味を持ちました。劇的な事件があってパッと人は変わっていくんじゃなくって、でも、劇的な事件は変化のきっかけであって、はっきりと"変化した"瞬間はどちらも描かれていないけれど、変わっていっている、あからさまに表に出るわけではなく。人は流動的でまどろっこしい。
で、知人が出ていたチェーホフの『桜の園』を観て、お互い想いを寄せているだろう二人が、終幕近くで二人きりになってという決定的な時間があるんですが、二人は結ばれない。想いを伝えることができない。『アンナ・カレーニナ』にもそういう二人がそういやいました。どうして話せなかったのかきっと心情的な理由はあるんでしょうけど、心情を超えたところで、その時の二人の空気、空気感がそうさせたのでしょう。別の時間に二人が出会っていたら結ばれたかもしれない。そういう空気の謎はおもしろいなと思うのであります。ミラン・クンデラという作家の影響です。
『真鶴』はいくつか読んだ川上弘美さんの著書の中で最も感銘を受けました。傑作だと思う。