信、疑、体。

パリへゆく妻。

金曜日は大学の同級生Mキが出演している『ラマレア』を観に振り向けば横浜へ。街頭パフォーマンス。で、Mキが出てる「夫婦の最後の晩餐」というのを見ていたら、その前で見ていた二人の子を連れた若奥さんに名前を呼ばれ、それはこれまた同級生のS子だった。長女は来年小学生、ベビーカーに乗っていた長男はユウキという名前で、ユウの字が僕の字と同じと聞いて「いい名前だね」と言っておいた。パフォーマンスは台詞はなくて、背後に字幕がダダっと映されて、登場人物の背景や心情を語っていくのですが、その内容(文体を含め)が海外小説みたいで、なんか日本人のキャラダと合わなかったのです。違和感。でも、久々にMキが見れてよかった。
小説化された聖書の旧約篇と新約篇を読み終える。旧約篇は殺戮の繰り返しだった。聖書というものはもっとためになる話がズラズラ並べられていると思っていましたが、いやいや、殺戮の歴史、とくに旧約篇は。意外だったのは、神が民のあまりの悪行に激怒したのを、モーセにそんなに怒っちゃ何にもなりませんよと諭されたり、やりすぎたと神が悔いることがあったのです。神さえ間違うのであらば、人が間違ってもしょうがないのでは。で、きっとどう反省していくかで、あきらかに差が生まれるのでしょう。悔い改めること。小説版は聖書の全てをカバーしているのではなく、その作者のひとつの視点でありましょうが、流れだけでも知れてよかった。神様は見守ってくれているとしても、人は人でちゃんと生きていかなくちゃならないのでありましょう。
よいしょよいしょ。