ヤングマン。

二十歳くらいで戦争に行き、終戦をむかえ、焼け野原から復興、そして高度経済成長期へと日本を勃興させていった世代が僕らの祖父母にあたるのでしょうか。激動。廃墟から高層ビルへと。で、僕の手元には戦時中の祖父の日記があって、終戦日の日記にはどうして民族が滅亡しようとも最後まで戦わないのかと政府を批判しているのであります。「……死シテ民族全部ガ滅亡シテモイイデハナイカ。降伏ノ意思表示ヲナサズ最後迄戦ツテ民族ガ地球上ヨリ滅失スルトモマケタコトニハナラナイ筈ダ……」。その後、祖父はビジネスマンとしての生涯を過ごし終えていきました。夏に戦争を回顧はすることはいつまで続くのだろうか。回顧しなくなった時はどんな時代なのだろうか。この間、テレビで見た長崎の被爆者の方々が、大きく口を開けて泣きながら原爆反対戦争反対の歌を歌う映像が印象に残っている。それを見て思い出したのが、井上ひさし著『父と暮らせば』の中で描写されている原爆投下時の「太陽が二つ」という表現で、読んだ時はゾッとした。強烈だった。アジア人蔑視についてのこだわりはまだ僕の中にあって、そこに歴史を、背負っている歴史を感じるのであります。立ち止まってはいますが……。